平翠軒のご紹介
~口にやさしく、体にやさしく、人に優しい食べ物~
今、私たちは望むならばありとあらゆる種類の食べ物をテーブルにならべることができます。
世界中のどの国のものも、そしてどの季節のものも。
そうしたかつてない豊かさの中でふと感じる飢えは一体なんでしょうか。
”飽食の中の飢餓”という言葉を想うとき、あることに気付きます。
私たちにとって食べ物とは風土との素晴らしい関係の象徴ではないか、自然と人間とのかけがえのない交わりの結晶ではないかということです。
私たちが日頃手にする食べ物はあまりに人工的に調理され加味されてしまいました。
むしろ干す、煮る、燻す、漬ける、練る、醸すといった人間の食べ物への知恵と技術が、陽の光、潮の香り、土の息吹きといった自然の記憶とからみあい、豊かな素材にもう一つの命を吹き込む、そうした人間の技と自然の恵みが溶けあったものこそ本当の食べ物といえるのではないでしょうか。
そうした心の御馳走を求めて私たちは各地でいろいろな人に出会い、いろいろな滋味にあふれた食べ物に出会いました。
それでもマスプロ化されていない良質の食べ物を手に入れるのは極めて難しく、まだまだ情報が足りません。皆様からいろいろな助言をいただければ幸いです。
平翠軒店主 森田 昭一郎
生いたち
森田酒造は私の祖父尚二によって明治四十二年に起業されました。 当特所有していた土地から上がる小作料としての米の利用を考えたようです。尚二は八十九歳にて没するまでの人生を悠々と送った人でしたが、酒造りの基本 として“貧しい商売はするな、利を考えるな、声高に叫ばなければならない酒は造るな”その事を生涯言いつづけた人でした。その精神は父脩一(平成八年没)に受け継がれました。父も又学者肌の人で自身の 納得のゆく酒造りに全身を傾けた人でした。
その祖父に学び、この父に師事した私白身も又二十五歳の時から酒を造ることに 没頭してきたつもりです。しかしながら物造りという仕事は常に自分をかりたて 相当のエネルギーをつぎこまなくては、なかなか持続できないものです。 ましてそれが日常ともなればつい原点を見失って流されてしまう、そんな不安を 四十歳過ぎた頃より常に感じるようになりました。
自分の中に揺るぎないものを植えつけたい、物造りのもっと広い世界を見たい、 そんな想いから物造りに出会う旅に出ました。 色々な所で色々な物に出会い、人に出会い、感動に出会いました。平翠軒はそんな旅の途中で生まれてきた、いわば私の後に残った足跡であるように思っています。
平翠軒においては私は呼び込みであり、大道具方であり、黒子です。又お囃子であり、広報がかりでもあり、舞台監督でもあり、花道でみえをきる立役者でもありたいと思っています。 この私が造った舞台の上で自分自身を完全燃焼させたいと願っています。
名前の由来
平翠軒は、森田家に古くから伝わる茶室である。
在の建物は、表千家の残月亭を写したもので、それ以前は、倉敷の古禄、銭屋のゲストハウスであった。
江戸時代の高名な書家、貫名海屋が当地を訪れた時、命名したといわれている。
平翠軒の翠は、翡翠の翠。”かわせみ”の羽の色。
わがまま空間
破゛流知庵(ばるちあん)くらしき
平翠軒の2階にギャラリーと珈琲コーナーがあります。
窓から見える景色は、緑と家なみの瓦にいろどられた昔の倉敷そのものです。
平翠軒の場所
平翠軒は、川沿いの美観地区から一本北へ外れた昔ながらの静かな住宅街の中にあります。
大正時代に建てられた倉庫を改造した古いお店です。小さな看板を一つだけしか出していないので 気をつけて探してください。
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